ハロー!ゾロ美です♡
8月18日夜10時から日テレで放送の【おしゃれクリップ】に女優の木村多江(きむらたえ)さんが登場。
ちょっと影がある役や、ちょっと狂気めいた役などの印象が強い木村多江さんですが、「自分は幸せになってはならない」と自らを追い詰めた壮絶な下積み時代があったそうです。
一体どんな下積み時代だったのか気になったので調べてみました。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
木村多江さんプロフィール
- 生年月日:1971年3月16日
- 出身地:東京都
- 身長:162cm
- 血液型:A型
- 所属事務所:融合事務所
木村多江さん主な経歴
昭和音楽芸術学院ミュージカル科卒業。
大学在学中から「美少女戦士セーラームーン・ミュージカル」に出演するなど、舞台女優として活動。
1999年のドラマ「リング〜最終章〜」と「らせん」で山村貞子役を演じ注目される。
2005年、木村多江さんが出演するコマーシャルを担当した電通の社員さんと結婚。
2008年に長女出産。
2008年、映画「ぐるりのこと」で第32回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、第23回高崎映画祭最優秀主演女優賞など受賞。
現在、数々のテレビドラマ・映画・舞台・CMなどでご活躍中。
木村多江さんの壮絶な下積み時代とは
木村多江さんはお父様のお仕事の関係で2歳半までシンガポールで過ごしました。
帰国後はお嬢さま学校の白百合学園高校から演技を学ぶ昭和音楽芸術学院に進学。
在学中から舞台に立ち、これからという時にお父様が49歳で他界。
当時21歳の木村多江さんが家族の大黒柱に。
自分の夢である役者の道をあきらめず、お母様と学生の弟さんを経済的に支える立場になりました。
下積みから売れっ子になりかけの20代後半に、睡眠時間1~2時間で働いた。気づいたら働き過ぎで、ストレスもピーク。クラブで踊り狂ったり、カラオケで歌いまくったり、朝まで飲んだりと、体を痛めつけながら発散していた。悩みながら演じてきた軌跡がくっきりと浮かぶ。はかなげなイメージから程遠いが、プロとして生き延びたからこそ、脇役から主役まで幅広くこなせるのだ。
https://web.archive.org/web/20100914142504/http://news.nifty.com/cs/entame/showbizddetail/gendai-000124979/1.htm
今の木村多江さんからは想像できない、歯を食いしばった激しい日常だったのではないかと想像します。
木村多江さんは中学生の時にお父様に「人生には同じ量の悲しみと喜びがある」と言われたそうです。
「父が亡くなって、本当に人間には喜びと悲しみが両方訪れるんだな、と知った。でも悲しみは小さな幸せをちょっとずつ見つけて、大きな喜びに変わらなくても、(小さな喜びに)変換していくってことでもあるんだな、と。父の言った言葉が私の中で大切なものになっていきました」
https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2016/04/09/0008974508.shtml
幸せな家族から父の死で一転。
悲しみも苦しみも体を痛めつけるしかなかった下積み時代。
お父様のこの言葉を胸に生きて来たのでしょうね。
木村多江さんが今私たちに見せてくださる微笑みの裏にこんな苦しみがあったとは。
涙が出てきます・・・
木村多江さんのかわりはいくらでもいる!?
小さい頃から自分に自信がなく人前に出るのが苦手と言う木村多江さん。
そんな木村多江さんは学生時代からみんなで一緒に作り上げる舞台で自分の存在意義を感じ、自分の居場所を見つけたそうですが、テレビドラマに出るようになり、名前も覚えてもらえない現場に「この役は私でなくてもいいのでは」と辛く寂しい思いをしたそうです。
その後、「貞子」役の辺りから、舞台とテレビもみんなで作り上げるのは同じ、その楽しみを見失わないようにしようと思うようになったそうです。
木村多江さんSNS
公式サイト:https://yougooffice.com/artist/kimura_tae/
インスタグラム:https://www.instagram.com/taekimura_official/
まとめ
- 木村多江さんは若くして一家の大黒柱として家族を支えていた。
- 下積み時代はアルバイトと芝居の間で苦しんだ。
- テレビドラマに出るようになり、孤独感に苛まれた。
- 木村多江さんは数々の困難を乗り越えたからこその演技力。
と言うことがわかりました。
調べてみてますます好きになりました♡これからも応援します!!
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